19年10月25日(金)『天声人語』?マラソンと競歩を移す
漱石の小説『三四郎』の主人公は熊本から東京に出てきて、驚いた。ちんちん鳴る電車に、丸の内の街並みに。そして「もっとも驚いたのは、どこまで行っても東京がなくならないということであった」。歩いても歩いても、東京のままだ。
夏目漱石的小说《三四郎》的主人公从熊本来到东京后惊讶无比。看到叮叮当当的电车,看到丸之内的街景。而“最感到吃惊的是,不管走多远,东京总是走不完”。走啊走,到处还是东京的样子。
私たちもいま、驚き、戸惑っている。どんなに遠くまで行っても「東京オリンピック」であり続けることに。マラソンと競歩のコースを札幌に移す。そんな案を国際オリンピック委員会(IOC)が1週間ほど前に打ち出した。
现在的我们也惊讶无比、还困惑不已。无论离得多远,仍然可以叫做“东京奥运会”。大约一周前,国际奥委会(IOC)拿出了一个方案,马拉松及竞走项目要转移到札幌了。
あまりに泥縄だし、これでは「日本オリンピック」とでも言いたくなる。それでも東京の暑さが殺人的なのは確かだし選手の健康を考えれば仕方あるまい。そう思っていたら、東京都が代替案を検討し始めたと昨日の本紙にあった。
时至今日也过于仓促了吧,这么着干脆叫作“日本奥运会”得了!然而,东京夏日的酷暑确实够到杀人级别了,考虑运动员的健康也是事出无奈。从这一点出发,昨天本报上说东京都已经开始讨论起代替方案了。
早朝の東京開催だけでなく、東日本大震災の被災地に移す構想もあるという。色あせた「復興五輪」の看板を立て直すチャンスか。都が本気なら実現可能な案を地元と一緒に詰めて、IOCに投げかけてほしい。
马拉松等项目不仅可以在东京的清早开始,还有人想到了移到东日本大地震灾区的方案。这不是重新立起那块褪了色的“复兴奥运”招牌的机会吗?东京都若真有心要推动实现,是可以和灾区当地一起制定可行方案,上报给IOC的呀。
「抜くことでも抜かれることでもなく、ただただ自分の中を駆け続ける」。作家の永井龍男は1964年の東京五輪マラソンを見て、そう書いた。時期は10月の今頃である。「十九度はやや高温かもしれぬが」と気温にも気を配っている。
“不是超越与被超越,只是在与自己赛跑着”,作家永井龙男观看了1964年东京奥运的马拉松赛如此写道。那正是10月的现在这个时候。“十九度的气温也许略高了”,对气温也表示出担心。
夏に五輪を開くのは、米テレビ局の都合だ。欧米の人気スポーツが手薄な時期に放送したいからという。言いなりになっているIOCから「選手の健康」の言葉を聞くたびに、ため息が出る。
奥运会在夏季举办,是为了迎合美国电视台。说是要在欧美热衷的体育项目淡季时进行转播。从早已是任人摆布的IOC嘴里说出的“选手健康”话题,听了只有一声叹息了。
※《天声人语》是百年大报《朝日新闻》的百年专栏。专栏自2017年11月28日起成为付费读物,译者从2017年12月1日开始正式订阅。故此,对本专栏的转载等敬请自律。欢迎译文读者的打赏支持!